僭越ながら望む劣情
こんな私にも、好きなタイプというものがあります。
そこでなのですが、好きなタイプというものは短ければ短いほど格好が良いと思うのです。例えば、
Q:好きなタイプは?
(A)年収が1億で、美味しいものとか沢山知ってて、外車に乗ってて、ロレックスが良く似合う、スーツをちゃんと仕立てて着てて、休日には観劇とか美術館に行くような人
(B)良い手帳を使ってる人
この御二方は、パートナーの条件として同じ「潤沢さ」を所望していらっしゃいますが、明らかにBさんの方が聡明で、かつ性格が良さそうに見えるではないですか。
そう、好きなタイプを聞かれた際は、簡潔に、出来れば一言で、イメージしやすいあるあるを言うのがお洒落でスマートな作法なのです。(私調べ)
しかし悲しいかな、人間の欲求には限りがありません。画面の向こうの貴方様、お尋ねしますが、好きなタイプを一言で述べるという行為は可能でしょうか。この世は映画ではないのです。
そこで私は考えました。私の好きなタイプを、格好良く告げる方法を。出来れば捨て台詞のように一言鋭く放って去ってゆきたいものです。人間には、咄嗟に好きなタイプを一言で述べることは不可能かもしれませんが、それがしっかりと考え抜かれ、洗練されたものであるならば不可能を実現することも可能なのです。
そして出た結論は「私のことをちゃんと叱ってくれる人」というものでした。
私は自分が褒められることが本当に苦手なのです。自分が人のことを褒めることは本当に好きだし、心の底から褒めるのですが、人からの褒め言葉は全て嘘だと思ってしまいます。もちろん失礼に当たるので本人に嘘でしょうと指摘することがないように気をつけてはおります。
そんな卑屈な私にとって、褒め言葉よりもむしろ信じられるものはお叱りの言葉です。悲しい価値観ですが、特に何も思っていなくても褒めることは容易であっても特に何も思っていないのに文句を言ったり叱ったりすることは出来ないと思うのです。だから私のことを「ちゃんと」叱ってくれる人はきちんと私のことを考えてくれているのだろうという理屈でございます。さらに、「ちゃんと叱る」という行為は、叱り手の観察力、自己表現力、問題解決能力、倫理観など様々な能力から成り立っているのです。
こういった理由で、私は上記の「私をちゃんと叱ってくれる人」を自分のパートナーに所望致します。
理由の性格悪さはひた隠しにしようと思います。