生きて兆まで届く劣情

悶々と日々は続く

お久しぶりに放つ劣情

なんだか久しぶりになってしまいました。実を言うと元々、私はこのブログを毎日続けようと思ってはいなかったのです。はじめの4日間くらいの間は都合の良い日が連続していたので、まあ書けるうちにたくさん書かせて頂こうと思ってたくさん書いたのでした。そうしてここしばらくは都合が悪くなってしまって、書くのをお休みしていた次第なのです。今後は毎日書けるようなことは少なくなると思います。また毎週何曜日の何時頃に更新致しますと確約することも難しいです。気のまぐれのままに更新してゆきたいと思っておりますので、どうか悪しからず。

 

ところで、このところ私はずっとお暇を頂いて自宅におります。同居人が流行病にかかってしまい、その人と接触が濃厚だからという理由によるお暇でした。案の定別の同居人たちも罹患しましたが、なぜか私だけかからず家事に追われていました。家事の他にすることがなかったのでブログを開設したりしていました。

ところがその後、まあ避けられない運命と言うべきか私もかかってしまいまして、現在もお暇期間中です。

 

とはいえ諸行無常、この2週間ほどのお暇も今週いっぱいで終わりなのです。

 

 

社会復帰が恐ろしいのです。

 

 

いわゆる「シャバ」といいますか、世間サマといいますか、とにかく自宅の外に出るということ自体はやはり久しぶりなので、それなりに楽しみで仕方がありません。しかし私は、ありきたりですが人が怖いのです。

私が平日の日々のほとんどを過ごす場所を、愛情込めて「当局」と呼ばせて頂きましょう。当局に来る人はもちろん私以外にもたくさんいらっしゃって、幸せなことに皆様本当に良い方ばかりです。それなのに私は妄想してしまいます。本当は誰も私の復帰など望んでいないのではないだろうか。普段なかなか休まない私がしばらく居なくなって、いつも感じていた異物感の正体は私だったと、気づいてしまっているのではないか。私がいない方がこの世は上手く回ると分かって、私が帰ってきたら皆さん優しいから再会を喜ぶ顔をしてくれるけれど、心の内では「ああ、せっかく上手くいっていたのに」と落胆なさるのではないか。そんなことを考えていると、まず皆さんにそんな思いをさせるのが申し訳なくなり、次に妄想の中で皆さんをそんな風な性格の悪い人間に仕立て上げて被害妄想に耽るような、いちばん性格の悪い私が心の底から憎らしくなってくるのです。

こんなことばかり考えていると寝付きが悪くなってしまいます。優しいだれかが、そんな時はホットミルクを注いで、身体が温まれば心も温まるんだと私に教えてくれました。

だけれども自分に優しくしたくない夜もあるのです。

そんな時は自分を雑に扱っても良いのではないでしょうか。責めて、いたぶって、凍えさせて、そこまでしなければ涙も流せないほど申し訳なくて、心苦しい時だってあります。きちんと苛めたあとは、きちんと元に戻すことが出来るなら、たまにはそんな苦い夜があってもいいはずだと思うのです。

もちろん人としては何だか歪んでいる自我の保ち方だし、健康か不健康かで言えば間違いなく不健康の側だと思いますが、私は人生のすべてを合理と健康と正しさと効率に捧げるなんて甚だ恐ろしいと思ってしまうような人間ですので、そういうひねくれた人間にとって毎日自分を大切に生きるということがどんなに難儀で身を削ることなのか、どうか優しい方々にはご理解を頂きたいのです。

よいではないですか。不安に首を絞められて眠れなくなったなら、せっかくの秋の夜長に洞穴のような小説でも読んで、自分をもっともっと不安の渦に呑み込ませてしまえばよいのです。

 

よいではないですか。